「フリッド、フリッド」

「ん? ……ああ、キャルロット。どうしたんだい?」

「あなたがいつまでたっても薔薇園から戻ってこないから迎えにきたのよ。昼食も抜いているんじゃないかと思って、差し入れも持ってきたわ」

「ありがとう、キャルロット。でも今日は家庭教師が来る日じゃなかった?」

「いいのよそんなもの。そんなことより、フリッドといるほうが楽しいもの」

「それは嬉しいことを言ってくれるね」

 辺り一面に広がる薔薇を絨毯みたいねと評したキャルロットは、手に持っていたバスケットを薔薇園のたったひとつのベンチへと置いた。景観を壊さないようにと、淡い茶色のベンチはフリッドが注文したものだ。人が滅多に座らないためか、そのベンチはいつも新品の風を漂わせている。

 フリッドの色素の薄い金髪が日に透けて輝き、薔薇を見る青藍色の瞳がやさしそうに細められる。泥のついた手で薔薇を撫でるさまを、キャルロットはじっと見つめていた。

 バスケットの中身はキャルロットが自らつくった、ハムとキュウリのサンドウィッチ。今朝、市場で仕入れてきたばかりの新鮮なものを使用した、フリッドが唯一食べやすいと言った食べ物だ。

 喉も渇いているかと思って、ポットとカップも持参した。両方とも緻密な模様が描かれているキャルロットのお気に入りで、差し入れの際には必ず持ってくる。そしてポットの中身はあたたかいアールグレイ。フリッドは砂糖をいれることを好まないから、ストレートで入っている。

 枯れている薔薇を名残惜しそうに摘みとるフリッドに、キャルロットは声をかけた。

「フリッド、少し休憩したらどう?」

「ああ、そうするよ」

 泥で汚れた手袋をはずし、少しはたいてから、フリッドはゆっくりとした足どりでベンチに座った。そうして緊張がほどけたかのように、背もたれにぐったりと寄りかかり、微笑む。

「疲れるまで根気つめないの。身体壊れるわ」

「でも僕がいなかったら、この薔薇園を世話する人がいなくなる。それだけは絶対避けたいんだよ」

 疲れた顔をしつつも微笑むフリッドに、キャルロットはカップに注いだ紅茶を渡す。それを受けとり一気に飲みほした彼は、ふうとひとつ溜息を吐いた。

「薔薇は誰かの手がなければ美しく咲かない。手が加えられることで、いっそう美しく咲くんだ。だから僕は薔薇が好きなんだよ」

 やさしい光をたたえるエメラルドの瞳が、ふわりと細められた。

「大輪の花が咲いたときの喜びは、どう例えればいいのかわからないくらい嬉しくなって」

「嬉しすぎて、の間違いではなくて?」

「はは、キャルロットは本当、僕のことをよくわかっているね」

「長い付き合いだもの、わかって当然だわ」

 ふふっとキャルロットが小さく笑いをこぼすと、高く結いあげられているウェーブのかかった金髪がふんわりと揺れた。手にはめられている白い純白の手袋をちらりと見やり、フリッドは申し訳なさそうに眉尻をさげる。

「本来なら、裕福な貴族の家へ嫁いでいるはずなのに……」

 ぽそりとつぶやかれた言葉を、キャルロットは聞き逃さなかった。

「愛のない婚姻はいやよ。いくら爵位があったって、財産があったって、そこに愛が存在しないのなら意味がないわ。……私は、あなたと生きていたいのよ」

 キャルロットのサファイアの瞳が、フリッドの目をまっすぐに見つめる。

 その視線に耐えきれなくなったのか、フリッドは少し俯き、そして困ったように笑った。

「僕と生きるなら、今のように貴族の暮らしはできないよ」

「わかってるわ」

「もしかしたら、家族との関係が悪化するかもしれない」

「なら、お父様を説得してみせるわ」

「薔薇にしか興味のない、つまらない男なのに?」

「それでも私はあなたが好きだもの」

 ぎゅっと握られた手を、フリッドは包みこむ。

「……本当に君は、僕にはもったいない女性だよ」

 よくできすぎている。

 そう言って溶けこむかのように抱きしめられた腕の中で、キャルロットは満面の笑みを浮かべた。

「キャルロット」

「なあに?」

「僕らが婚姻するときにね———」

———君に、砂糖漬けの薔薇を一輪あげる。