フロレンティアは自室のベッドの上で目を覚ました。

 瞼を開くのも億劫なくらい、なんだか身体に力が入らない。妙にふわふわした感覚。

 解毒薬を服用した副作用なのか、それとも何日も寝ていたからなのか。

「……結局、私は死ななかったのね」

「フラン!」

 ベッドの横には黒ずくめのニクスがいる。

 相変わらず、見ていてイライラするほど白い顔の上に乗るのは焦燥の表情。

「まぁ、目の下にクマが出来ていてよ。鏡でご覧になった?」

「クマなど、どうでもいいでしょう」

「怒ってらっしゃるの?」

 虚脱感のせいで呂律が上手く回らない。ささやくようにしか言葉が出ないが、ニクスに火をつけるには十分だったようだ。

「怒るとか……なにを言ってるんですか!」

 白い顔を更に白くして、ニクスは捲くし立てた。

「ご自分がなにをなさったか、どれだけ心配させたか、分かってらっしゃるんですかッ! 下手したら死んでいたんですよ。解毒があと少し、間に合わなかったら! それなのに、怒ってるか、ですって? ええ、怒っていますよ! これ以上ないぐらいに怒っていますとも!」

 ニクスはそこで言葉を切ったが、それは息継ぎのためだった。

「あの砂糖漬けのバラには毒が盛ってあった。あなたが気付かないわけがない。あなたは私の優秀な生徒でした。当然気付いていたはずだ! それに、気付いていたんでしょう。あれは私が置いたものです」

「そうね」

「なぜ食べたりしたんですか!」

 見たことも無いほどに怒っているニクス。だがまだ頭がぼんやりとしているフロレンティアはその怒りを受け流した。

「バラの毒砂糖漬けを、どうして置いたの?」

「それは」

「私を殺したかったのでしょう」

「そんなわけ」

 目を伏せるニクス。だが、ベッドの上で眠るように瞼を閉じたフロレンティアは彼の表情を見てはいない。

「殺してでも、他の誰かに私を渡したくなかったからでしょう」

「違いますよ。あれは私からの最終試験のつもりでした。あなたは美しい姫として、そして優秀な薬師にして毒手として嫁がれる。どこへ出しても恥ずかしくないように、最後の試験を」

「嘘」

 彼女はうっすらと目を開き、重い手を動かして彼の頬にそっと触れた。花びらの口付けのように。語る声音は天使のように優しく、甘く、だが断定的。

 心の奥に押し隠した彼の想いをフロレンティアはいとも容易く汲み取って言った。

「だから、私はよろこんで食べたの。とっても嬉しかったわ」

 ふわり、と彼女の手がベッドに戻ろうとしたので、ニクスは無意識にその繊手を拾い上げていた。

「よろこんで?」

「そうよ」

 訝しげなニクス。だからフロレンティアは握られた手を握り返した。

「あなたが私を愛しているという証拠でしょう」

「……」

「ねぇ」

「な、なんですか」

 フロレンティアは微笑む。

 花が開くように、やがてくる春の陽のように。

「赤熊の娘と一緒に逃げる覚悟はおあり?」

「……ッ!」

 喉が締め付けられているような声を出したニクスは、盛大な努力をしてどうにか言葉を喉から外へ出した。

「……あなたは」

「なぁに」

「私からは、なにも受取らないとおっしゃっていました」

「あら、それは勘違いだわ」

 そう言って彼の顔を覗きこむフロレンティアの瞳を、ニクスは一生忘れないだろう。

「私が、あなたを奪うのよ」

 まさに彼女は燃える炎のごとき姫であった。

 

 そうして春が巡ってきた。

 木炭城からは予定通り、花のような乙女が王都の有力貴族へと嫁いでいった。

 美しい花嫁は、朝日のような金褐色の見事な髪を持っていたという。








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